中高一貫教育校 宮崎学園中学校・高等学校

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令和7年度 第1学期終業式 校長挨拶

2025.07.30

校長室便り

 生徒、教職員の皆さん、おはようございます。 第1学期の終業の日となりました。 今日は、2つの話をして、挨拶にしたいと思います。 一つ目は「視点を変える」という内容で、二つ目は「四つの日」という内容です。
 まず「視点を変える」という話をします。
 先日、教育関係の仕事をしている方と話していたら、ある生徒向けの講演会をされたそうで、その質疑応答の中で、こんな質問があったそうです。
 「私は、先生に目標をもてとか、夢をもてとか言われるけど、現在、何が目標なのか、夢があるのかもわかりません。どうしたらいいのでしょう?」
 という質問だったそうです。 皆さんの中にも、このような人もいるかもしれませんね。この質問に対して、講師の先生は、次のように回答されたそうです。
 「生徒の皆さんは、今、ほとんどの人が、日頃の生活の出来事や様々な活動を消費者として過ごしているのではないでしょうか。 つまり、身の回りにあるあらゆるものを消費者の視点で見ていることがほとんどだということです。 ネットをみれば、この服かわいいなとか、このゲーム面白いなとか、この動画はまるとか、この番組やグループの推しなんだよねとか、様々なことで消費者の視点で生活していると思います。
 もし、生徒の皆さんの中で、将来の目標が決まらなかったり、夢を見つけることが、まだできていなかったりする人がいるならば、生活の中で起こる様々なことを、一度、消費者側の視点で考えるのではなく、製作者側の視点で考えてみることをお勧めします。 かわいいなと思った服があったら、このデザインや制作、宣伝はどうやっているのだろうとか、面白いゲームに出会ったら、この発想はどこから見つけ、どのように制作しているのだろうとか、興味を引く動画はどのように作られ他とどこが違っているのかとか、友達に推薦したり応援したりしたくなる番組やグループはどこが違ってどのように売り出しているのだろうとか、といったように、世の中にある事象や事柄を、消費者側の視点ではなく、製作者側の視点で見るようする、考えるようにする。すると、まだ見つからなかった自分の目標や夢を見つける切っ掛けになります。」
 このような回答をしたというのです。 質問した生徒もある程度納得して、今後は、視点を変えて製作者側の視点で物事を見るようにしたいと述べたそうです。
 生徒の皆さんは、この話を聴いてどう思いますか? 今、目標や夢が不確実な人は、是非、製作者の視点で考えてみる。 製作者の視点で、この夏を過ごして、少しでも目標や夢の手がかりをつかんで欲しいと思います。 既に、目標や夢が、ある程度決まっている人も、日頃の生活の中で、普通に見ていたもの考えていたことの視点を変えてみると、より深く自分の目標や夢を形作ることができるのではないでしょうか。 視点を変えることは、難しいことですが、是非、チャレンジして欲しいと思います。
 次に、「四つの日」という話をします。
 先日、配信映画サービスを見ていたら、今週の第何位というよく見られている映画の中に、「火垂るの墓」という昔のアニメ映画がありました。 1967年に作家の野坂昭如さんが発表された小説がアニメ映画化されたものです。 あれぇ? 昔の映画なのに珍しいなと思い、ちょっと考えを巡らしてみました。 そうだ! 今年は、太平洋戦争が終結して80年目を迎える節目の年なので太平洋戦争に関する映画が見られているのだと理解したところです。
 次の日、ふと、本校の図書館に行ってみました。 司書の假野さんと話していると、今年は戦後80年目ということで、意識して戦争に関する図書を陳列しているということを聞きました。 結構、戦争に関連する本を借りにくる生徒も多いようで、企画してよかったという話を聴いたところです。
 さて、1945年の夏、日本の降伏という形で太平洋戦争が終結しました。 そこから数えると、今年は戦後80年になります。 ただ、80年の歳月が流れると、戦争を体験した人は少なくなり、私自身もそうですし、生徒の皆さんにとっては、歴史で習った遠い昔の出来事と感じているのではないでしょうか。 生徒の皆さんの祖父母でも体験した方は少ないのではないかと思っています。
 戦後の日本は、戦争を知る人たちが 「二度と戦争をしてはならない」 という強い思いを持って、平和な国をつくってきました。 この間、1人の戦死者も出していません。 それは世界に誇れることではないでしょうか。 今から40数年前のことです。 前の天皇陛下、今の上皇さまが皇太子殿下の頃、記者会見の中で、「日本人が忘れてはならない四つの日」という内容のお話をされたそうです。 私からは、そのお話の内容ではなく、 「四つの日」 について紹介する話をしたいと思います。
 一つ目の日は、1945年6月23日です。 今は「沖縄慰霊の日」となっている日です。
 沖縄本島などに上陸したアメリカ軍と迎え撃つ日本軍との戦いが始まりました。 日本軍は 「最後は本土決戦」 と考えていたため、時間稼ぎやアメリカ軍の消耗を目的に沖縄での徹底抗戦を命じました。 ところが、壊滅的な被害を受けた日本軍は、この日をもって組織的な戦闘が終わりました。 約3カ月の戦闘で、日米あわせて戦死者は20万人以上、そのうち約19万人が日本側でした。沖縄県民の4人に1人がなくなりました。
 二つ目の日は、1945年8月6日、「広島原爆の日」です。
 太平洋のマリアナ諸島のテニアンという島を飛び立ったB29爆撃機エノラ・ゲイは、この日の午前8時15分、「リトルボーイ」と名づけられたウラン型の原爆を広島市中心部に落としました。 世界で初めての核兵器が使用された瞬間でした。 ものすごい熱風で多くの人が即死し、放射線による障害でその後、亡くなる人も多くいました。 広島市によると、この年の年末までに約14万人が亡くなったと推計されています。
 三つ目の日は、1945年8月9日、「長崎原爆の日」です。
 同じくテニアン島から飛び立ったB29爆撃機ボックスカーは午前11時2分、長崎市にプルトニウム型の原爆を投下しました。 長崎市では、この年の年末までに7万人余りが亡くなったと推計されています。
 四つ目の日は、1945年8月15日です。
 日本政府は、無条件降伏を求めた連合国のポツダム宣言を8月14日に受け入れ、そのことは15日正午から天皇陛下によるラジオ放送(玉音放送)で国民に伝えられました。 その後に千島列島などの一部でソ連(ロシア)との戦闘があったり、正式な降伏文書の調印は1945年9月2日に東京湾上のアメリカ軍戦艦ミズーリ号の甲板でおこなわれたりしましたが、国民が敗戦を知った8月15日が「終戦の日」とされました。
 以上、「四つの日」は、太平洋戦争の歴史の中では節目となった日付ですが、その日に何が起こって、その後どのようになったかということを知ることは、戦後80年を考える第一歩になると思います。
 一方で、太平洋戦争のはじまりは、1941年12月8日、日本がハワイの真珠湾に停泊中のアメリカ艦隊を攻撃した時から始まったとされています。
 ところが、太平洋戦争が始まる以前、「戦前」の歴史では、1941年を遡ること10年以上前から、日本と中国の間で、断続的に様々な事件を起こしていました。そして、延いては日本が太平洋戦争へと進んでいったのです。
 さて、これから10年後がどのような世の中になっているかの予測は難しいですが、将来、今の時代が「戦前であった」と呼ばれることのないよう、今、そして将来をどう生きていくか、どのような社会を創っていくのか、生徒の皆さんのみならず、教職員、私も含めて、常に問われていると思っています。 この節目の年に、今一度、太平洋戦争について、本でも、動画でも、映画でも構いません。 詳しく知る機会を増やして欲しいと思います。
 「特別な夏」 そして 「熱い夏」 が続きますが、生徒の皆さん、教職員の皆さん、心と身体をリフレッシュして、8月25日の第2学期の始業式に元気にお会いしましょう。 以上で、令和7年度第1学期の校長挨拶とします。