校長室便り
令和6年度 校長室便り⑤
- 2024年08月02日
- 校長室便り
「明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」
親鸞聖人は9歳の時、仏門に入る決心をしました。そこで天台座主である慈円の所を訪れます。そして、慈円に入門を申し出ました。しかし、訪れた時間が既に夜遅くになっていたため、慈円から「今日はもう夜も遅い、明日の朝になったら得度の式をしてあげましょう。」と言われます。ところが、その時、聖人は「明日までは、待てません。」と言います。そして、この歌を詠んだと言われています。
この歌の意は「今は美しく咲いている桜も、明日見ることができる安心していると、夜半に強い風が吹いて散ってしまうかも知れない。」ということです。このとき、聖人は「明日やればいいと思ってはいけない。明日やれない場合もある。だから、今が大事である。」と考えていたのでしょう。
この歌からは、様々な事柄が引用されます。
皆さんは、「明日やればいい。」とか、「今度やろう。」とか、先延ばしにしていることはありませんか。入学や就職試験の受験勉強も「部活が終わったら、頑張ろう。」とか、日頃の学習も「先生が何も言われないから、放っておこう。」とか、自分の都合のいいように判断したり、なおざりにしたりしていることはありませんか。実は、これから様々な試験に挑戦していくにあたって、一番の敵は、こういった自分で都合のいいように考えていくことなのです。
受験は、相手がいて、その相手が君たちに合否を付けて選抜していきます。選抜するための問題等を作るのも、面接するのも、受験日を設定するのも、採点するのも、当たり前ですが、すべて自分以外の相手がやることなのです。 「そんなこと、百も承知している。わかっている。」と思うでしょうが、ちょっと、考えてみてください。日頃の学習や学校生活の中では、結構、自分の都合のいいように考えていることがあるのではないでしょうか。
具体的な具体的な学習方法はどうでしょう。自分のペースで、自分にあった方法で、学習することはやぶさかではありません。しかし、客観的に常に振り返ることが大切です。独りよがりの学習方法になっていませんか。自分の都合のいい学習方法になっていませんか。常に、自分自身に問いかけてみましょう。
さらに、受験勉強の過程では、不安や焦りが繰り返し生まれてくるものです。これは、当たり前のことで、これらのことを乗り越える工夫や行動をせず、自分の都合のいいように判断してしまうことのないよう日々を過ごすことが大切です。
もし、迷ったら、判断に困ったら、自分を見失いそうになったらどうしますか。先生方に相談してアドバイスをもらうこともあるでしょう。まわりの友達の頑張っている姿から自分に必要なものを取り入れることもできるでしょう。様々な機会に自分自身を見つめ直すことを忘れず、受験勉強を積み上げていきましょう。偏りのない裾野の広い学習、その学習を積み重ねることにより、高く、深く、そして強い学力が育っていきます。